おじいちゃんが亡くなりました。

別に、わざわざ皆さんにお伝えするような事ではないのですが、正しい使い方なのかどうかは別として、私は、このブログを、単なるヨガ教室のアピールというよりも、自分の気持ちの整理をする場所として使っているところが強いみたいで、この事を書かずに、次回ヨガですが〜みたいな事は書けないな、と思ったので、書くことにしました。

なので、元々そうなんですけど、ものすごく、私的かつ、まとまりのない内容になると思います。


水曜日の朝、起きたら悲しい報せが入っていました。
火曜日の夜、日付が変わる少し前に、おじいちゃんは亡くなりました。
何も知らないまま、日付けが変わってから布団に入った私は、じいちゃん頑張れ。と、祈りながら眠りました。
でもその時には、もう亡くなっていたんだと知りました。

朝、混乱状態で余裕のなかった私は、旦那さんに怒鳴り散らしました。(ごめんなさい)
そのあとひとりでわんわん泣きながら、水曜日のレッスンのお休みの段取りをしました。ご心配おかけしてすみませんでした。

実家に帰ってからは、お父さんの初めて見る表情に、私が泣いたら駄目だって思いました。

おじいちゃんの家に行くと、すでにたくさんの人が集まっていました。
おじいちゃんの家が、こんなに賑やかなのはいつ振りだろうと思いました。
いつからか疎遠になっていたいとこや、親戚のみんなと顔を合わせて、なんだかすごく懐かしく、温かい、優しい気持ちになりました。

私たちが何度も寝泊まりした部屋に、おじいちゃんは寝ていました。
小さいころ、とても広く感じていた部屋が、なんだか小さく思えました。自分の身体が大きくなったことを実感しました。

小さいころ、いとこのみんなとワーワー遊んでいた思い出が、たくさん蘇りました。
久しぶりにみんなで集まって、久しぶりだしみんな大人だし、大した会話もないんだけど、ただ一緒にいることがなんだか懐かしくて、嬉しくて、楽しくて、ああこれも全部、おじいちゃんのおかげだなぁって思いました。
おじいちゃんのおかげで、またみんなでこうやって集まることが出来たなぁって、思いました。

いとこのみんなで遊んだ記憶の側にはいつもおじいちゃんとおばあちゃんがいて、おじいちゃんの家がありました。

おじいちゃんの声を思い出そうとすると、また来いや、って聞こえてきます。



おじいちゃんは、一生懸命生きた。
私も、いつ死ぬかわかんない。

生きてさえいればなんとかなる。
生きているだけでいいって思った。