多数決と好き嫌いで手に入れる正義感
相対主義者と言われればそれまでだけど、私は物事に良いも悪いもないと思っていて。
それを良いものと受け止めるのか、悪いものと受け止めるのかは、自分次第。
例えば、歩きタバコをする人が私は大嫌いだ。
いまの日本の風潮からすると、歩きタバコが嫌いな私の思考は『善い事』と捉えられると思う。
でもだからといって、歩きタバコは『悪い事』ではない。
単に、
日本の社会では悪とされていて、
かつ、
私自身も嫌い
なだけ。
社会=多数の価値観と、自分の好き嫌いが一致した時、人は自分の正義を信じ始める。
だよね?私は間違ってないよね?
はキーワード。
結局、善か悪かを判断する材料なんて、多数決と好き嫌いしか見当たらない。
正義を手に入れた人間は強い。
そして時に、攻撃的になる。
自分が正しく、自分に義があると信じている人間は、他者を攻撃する事に罪悪感を感じない。
なぜって、正義の元で動いているのだから。
自分の正義に反する人間・行いは悪。
その悪を正すのは善い事。
だから、平気で人を攻撃する。
歩きタバコするなんてサイテー!
人間のクズ!
火が当たったらどうするの?
煙が不快。
みんな迷惑してるんだよ。
お前の顔面にその火を押し付けてやろうか?
多数決と好き嫌いで手に入れた正義感で、他者を攻撃し傷つけることを厭わない。
正義も悪もない。
善いも悪いもない。
ただ、自分の価値観と合わない人間を、攻撃しているだけ。
多数派に攻撃される、数の少ない人間たちが、自分たちは間違っているのだろうかと、頭を悩ませている事にも気がつかずに。
人の行いは、
自分と似た価値観の人間からは正義だと讃えられ、
自分と異なる価値観の人間からは悪だと非難される。
そんだけ。
その数の大小で、正義とか悪とか正しいとか間違ってるとか思ってんだよ。
寒い〜
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