頑張れ、が負担なのは受け手の心に問題があるから
とある有名人の方が、
『頑張ってください、と言われても、もう頑張ってるよ!と思う』
と言っていました。
私は、この、『頑張れ』と言う言葉を使う時は、少しだけ気をつけています。
というのも、この言葉が負担になっていた時期があったからです。
独身時代、毎日母親が玄関先まで見送ってくれていたのですが、『頑張ってね!』と言われるのがしんどい時がありました。
まだ頑張らなきゃいけないの?
もう頑張りたくない。頑張れない。
ある日、まるでコップの水が溢れるように、
頑張れって言わんといて!!
とお母さんに叫んでしまいました。
お母さんの驚いた顔を今でも覚えています。
『頑張れ』という言葉が悪いのかというと、私はそうではないと思います。
思うのは、それはあくまで
受け手の心の問題である
という事です。
頑張れ!
という言葉の奥にあるものはなんでしょうか。
私は、『善意』の他にないと思います。
有名人の方にファンの方が言う『頑張ってください!』も、
朝、玄関先で母親が娘に言う『頑張ってね』も、
その人が好きで、応援したいから言う台詞です。
それを素直に受け入れられないのは、受け手の心の状態に問題があるからではないかなと思うわけです。
実際私も、仕事を辞めたいのに辞められず、ものすごーく病んでいた時でした。
善意を善意として受け入れられない状態にあるんですから、調子がいいわけがないです。
いまの私は、頑張れ!と言われる事が負担ではないです。
頑張れって言ってよ!と旦那さんに催促するようになったくらいです。
頑張れ、という言葉が負担に感じる人は、ああ今の私ってちょっと調子悪いんだなーと自覚すると、ラクになるかもしれません。
慶良間ブルー!!
沖縄楽しかったです✨
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2017.09.16 00:32